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東京高等裁判所 昭和27年(う)225号 判決

控訴人 原審弁護人 大島染吉

被告人 柿沼岩雄

弁護人 大島染吉

検察官 野中光治関与

主文

本件控訴を棄却する

理由

弁護人大島染吉の控訴趣意は別紙記載のとおりで、これに対し次のように判断する。

論旨第一点について

記録によると、被告人が原判示第四及び第五の各自転車を持ち去つたのは、自転車そのものが欲しかつたからではなく、それに取りつけてあつた発電ランプやベルが欲しかつたためで、現に被告人は、右の自転車をその置いてあつた場所から程遠からぬ箇所まで運んだ上発電ランプやベルをはずして取つたが、自転車はその場に遺棄してきたものであることが認められるのであつて、論旨は、自転車については被告人に不正領得の意思がなかつたものだと主張するのである。なるほど不正領得の意思とは、権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従い利用し又は処分する意思をいうのであるから、本件の場合発電ランプ及びベルと自転車そのものとを別々に観察するならば、前者については不正領得の意思のあることは問題がないとして、後者すなわち自転車については、被告人がこれを一応自己の所持に収めたのは、ただこれに取りつけてあつた物を取りはずすためで、別にこれを乗り廻そうとか、これを売つて金に換えようとかいうつもりでなかつたものであるとしてみると、広い意味ではこれを利用する意思があつたといえないことはないにしても、はたして「その経済的用法に従い」利用する意思があつたといえるかどうかはかなり疑問だといわなくてはならない。しかし、本件において注意しなければならないのは、そもそもこのように発電ランプその他と自転車とを別個の物として見るのが相当かどうかということである。なるほど発電ランプやベルは、これがなければ自転車としての用をなさないというほどの不可欠の構成部分であるとはいえない。けれども、それは、一度自転車にとりつけられてしまえばそう簡単に取りはずすことのできないものであることは周知のことで、現に本件の場合もそうであつたことは、被告人の司法警察員に対する第二回及び第四回供述調書の記載によつて明らかであり、それゆえにこそ被告人は自転車の置いてあつたその場で発電ランプ等だけを取るわけにはいかず、これを手に入れるためには、それの取り付けてある自転車全体を一度自分の支配に収めて人目につかぬ場所まで運んで行かなければならなかつたのである。いいかえるならば、この場合、被告人としてはその欲する発電ランプ等を入手するためには、その自転車そのものとの物理的結付の関係と犯行発覚を防ぐ関係とからして、どうしても自転車と発電ランプを含めた全部をいつたん自己の所持に移す必要があつたわけで、数個の物体がかような関係において結び付いている場合には、刑法の観点からはこれを一個の財物と観念するのが相当だといわなくてはならない。なんとなれば、「窃取」という面からみる限り、その各個の物体は切り離して考えることのできないものだからである(この考え方はすりが財布の中味である金銭をとるために財布ごとすり取る場合にもあてはめることができるであろう。)。そしてかくのごとく刑法上一個の財物と見られるものについては、たとえその一部だけその経済的用法に従い利用し又は処分する意図を有したにすぎない場合、すなわち厳密にいえば不正領得の意思が財物の一部分について存するに止まる場合であつても、またその部分が比較的小部分であるにしても、窃盗罪はその財物全部について成立すると解すべきものである。けだし、これを一個の財物と見る以上、窃盗罪はその財物について成立するかしないかであつて、財物の一部の窃盗罪ということは法律上考えられないからである(もつとも、物の一部を取りはずして窃取するという場合はあるが、これは、取りはずされた瞬間にその一部が独立した財物になるのであつて、財物の一部に対する窃盗罪ではない。)。しからば本件において原判決が自転車全部について窃盗罪の成立を認めたのは正当であつて、所論のように事実の誤認が存するとはいえないから、論旨は理由がないといわなければならない。

(その他の判決理由は省略する)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)

控訴趣意

第一点犯罪事実の認定に誤認がある。

第四、第五の犯罪事実を被告人が第四、斎藤茂雄の中古自転車一台、第五、奥野一太郎保管中の中古自転車一台を各窃取したものと認めて居るのであるが之が証拠となつて居る被告人の原審公廷に於ける供述(記録二六丁裏)斎藤茂雄の自転車については「集会所で取つたが発電ランプが欲しくて取つたので二、三米離れた田甫の中で発電ランプを自分の自転車に取りつけ取つた自転車は田甫の中に置いた」と云うて居り被害者斎藤茂雄の警察に於ける供述(六八丁裏)には「盗まれて二、三日して斎藤正雄が百米西の坂下の道端に自転車があつたと云うて来た」云々とあり又第五事実について被告人は原審公廷で(二七丁表)「役場の前から自転車の発電ランプの具合の悪いので欲しくなり自転車を取りランプを役場の西の田甫の中で外して自転車は其場に置いたままにした」と云うて居り被害者奥野一太郎の警察の供述(七三丁表)では「役場の裏の小学校の便所の所にあつた」と云うて居り之に依つて見ると被告人には初めから自転車を盗む意思は毛頭なく単に発電ランプ欲しさの余り之を盗むために発電ランプを自転車から外す手段として自転車を二、三百米以内の距離を移動したに過ぎないので自転車の移動については領得の意思がないのであるから原判決が発電ランプのみ窃盗と認めず自転車窃盗と認めたのは刑事訴訟法第三八二条に云う事実の誤認があり之れが判決に影響を及ぼすことが明らかの場合であるから原判決は破棄を免れ得ないものと思うのである。

第二点刑の量定が不当であること

本件は被害総額電線約壱万円と発電ランプ二個の窃盗である。而かも被害は全部賠償済であるから(乙第一、二、三号)「記録一二三乃至一二五」最も軽い事案である。被告は懲役十月四年間刑の執行猶予があるのであるから之と合わせて懲役一年位にするのが適当であると思うのである。原審の懲役十月は破棄さるべきが至当である。

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